私は、中学まで聾学校育ちであり、周りは幼い頃から一緒にいた聾の友達、手話を使える人たちに囲まれていたため、長い間手話を当たり前のように使ってきました。従って正確な手話が分からなくてもただ伝わればいいと思っていました。しかし、高校から初めて手話のない環境で学校生活を送ることになりました。最初はもちろん必要な情報が掴めず、分からないことばかりでした。常に、手話を使ってほしい気持ちがありました。そこで、不器用ながらも手話を覚えて私に伝えてくれる友達や先生がいましたが、私が知っている手話が正確かどうか曖昧だったため、結局ほぼ手話を使わずに口話でコミュニケーションをとってきました。今になって思うと、勿体無いことをしたと後悔の念に駆られています。なぜなら、手話を教えることで、自分の手話力を見直す機会が台無しにしてしまったからです。そして手話を教える大切さと魅力に気づくことができたのは大学生になってからでした。
大学で手話サークルに入り、未熟で指文字を覚えていく段階の一回生に出会いました。最初は、全く手話を使わずに口話ばかりなので、距離感がありました。しかし、私が知っている範囲の手話を絞りだして積極的に教えながら話しているうちに一回生は、ぐんと手話力が上がり、最初に感じていたような距離を感じなくなりました。現在は、お互い手話を共有しながら学んで覚えています。やはり手話を使う安心感があり、まるで心と心で繋がってるようで、たまらなく嬉しい気持ちになるのだと改めて感じます。それは、私にとって最高に幸せなかたちとも言えます。
「手話」は覚えるとただ相手に伝えることができるようになるだけではなく、表情力や表現力、コミュニケーション力などが自然と身につくようになります。そして、いつの間にか自分を成長させてくれる、自分を変えるひみつ道具みたいなもの。これが、私にとっての「手話」の魅力だと思います。これからも手話があるという有り難さを大切にして一人の聴覚障がい者として、手話が溢れている近畿ろう学生懇談会や、手話の企画に積極的に参加したいと思います。そしてこの機会に手話をたくさん学んで、手話の魅力を周りの人々に伝えていきたいです。
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